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memo : friendship 2


 私はよく自分を知っている。だが、どんな人の、どんなに純粋な鷹揚さでも、どんなに自由な無償の親切でも、必要に迫られて受けるものであれば、不快で押し付けがましく、非難の色を帯びたものに見えないわけにはいかない。与えると言うことは野心と優越の特質であるように、受けると言うことは屈服の特質である。

Je me connoy bien. Mais il m'est malaisé d'imaginer nulle si pure liberalité de personne envers moy, nulle hospitalité si franche et gratuite, qui ne me semblast disgratiée, tyrannique, et teinte de reproche, si la necessité m'y avoit enchevestré. Comme le donner est qualité ambitieuse, et de prerogative, aussi est l'accepter qualité de summission.

 真の友情(私はそれに詳しいが)にあっては、私は自分のほうへ友を引っ張るよりも、友の方へ自分を与える。En la vraye amitié, de laquelle je suis expert, je me donne à mon amy, plus que je ne le tire à moy.彼が私を益するよりも、私が彼を益することを好むだけでなく、彼が、私よりも彼自身を益することを好む。彼が彼自身を益する時が、最も私を益するのである。また、もしもそばにいないことが彼にとって楽しく有益であれば、私にとっても、彼がそばにいることよりもずっと楽しい。それに、たがいに意志を通じ合う方法があれば本当の意味の不在ではない。私は以前、互いに離れている事から利益と喜びを得たことがある。二人は離れている事によってますます生活の所有を充実し拡充した。彼は私のために、生き、楽しみ、見、私も彼のために、同じことを、彼がそばにいたのと変わりなく十分に果たした。かえって、一緒にいる時に、どちらか一方が怠けていた。つまり、二人は混じり合っていたのだ。別々の場所にいることは我々の意志の結びつきを豊かにした。肉体的にそばにいることを飽くなく求めるのは、精神の享受がいささか弱いことを暴露している。

(筆者強調)

モンテーニュ「エセー三・九」原二郎訳

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