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夜に輝くカフェ


 午前二時過ぎ、レンガ造りの建物の立ち入り組んだ所、曲がりくねった街路は黒々として深い谷のように見えた。いや、一箇所だけ違った。街路に異様なまでに明かりを照らすところがあったのである。いかにもフランスらしい洒落たカフェの明かりであった。
 光がよく反射するように丁寧に磨かれたカウンターには二人の男がいる。片方の男はこの店の常連客であった。おおよそ四十過ぎくらいで、すこしやつれたところが見えた。
 もう片方の男は第一の男のひとつ隣に座っている。初見の客である。このカフェにはほとんど顔馴染みの客しか来ないし、その男は見たところスペイン人らしい顔つきをしていて齢も七十過ぎに見えて、しぜん給仕の注意も彼のほうへいった。
 第一の男は酒をぐっと飲み果たすと、グラスで机を軽く叩いた。すでに赤ら顔でだいぶ酔いがはいっていた。
「はい、なんでしょう」と給仕が静かに返事をした。この店には音楽もかけていないので森閑としている。森閑たる住宅街には森閑たるカフェなのである。この静けさは、話をするには余りに絶大すぎた。ゆえに、声もしぜんと静かになるのである。
「コニャック、もう一杯」と言って第一の男はグラスを差し出す。
「アルベールさん、もうだいぶはいってますよ」
 アルベールと呼ばれた第一の男は無言でグラスを更に押し出す。
 給仕は聞こえないため息を漏らし、グラスの中ぐらいまで注ぐと、アルベールは「もっと」と言って、給仕はまた更に注いだ。
「私にもくれ」と第二の男は流暢なフランス語で話した。この男はまだまったく酔っていなかった。給仕は彼のグラスにもコニャックを注いだ。美酒は明かりに照らされて、酔っていた。第二の男はコニャックを一口飲むとグラスを置いて、隣にいるアルベールにふと話しかけた。
「疲れているのかい」
「べつにそんなことはない」とアルベールは無愛想にそう言った。
「仕事が大変なのかい」
「さてね」
「そうですか、あなたは疲れて見えますがね」
「あなたは少々失礼な言い方をする」
「それはすみません」
 第二の男はカウンターの向こうにたくさん並んでいるボトルの、光の反射しているのに見入って、ふと独り言を言った。
「ここは……いいな。第一に明るいし清潔だ。暗い所は駄目だ……死の臭いがする。ここは全てを忘れさせる効果がある。それに……上等の酒が飲める」
 アルベールは正面を向いたまま、
「そうだ、確かにそうだ。闇ほど厭おしいものはない。ここは明るい、だから、とても気持ちがいい」
 とぼそぼそとつぶやき、
「あなたにも分かりますか……そうですか。ときに名前は」
「名前ですか。地球ではミシェル・スタンディードと名乗ってますが、本来の名前はコウジェッテ・ペラグジダキです。というのも……」
 と第二の男はさきほどの口調とは打って変わり、ほとんど自嘲するような口調で
「というのもお信じにならないでしょうが私はそもそも地球の生命体ではないのです。それに私の年は五十万歳なのです」
 アルベールは何も言わない。
「いや、別に耄碌してボケた訳でもなければ、酔って血迷ったことを言っているわけでもないし、出来の悪い冗談とかでもない、ただ真実なんです」
 なおもアルベールは黙っている。
「やはり嘘だと思うかい?」
「ああ」
「そうか。まぁ、そうでありましょうな。嘘……といえば、そう、私自身もそのことについては嘘のようですからね。そうだ、嘘でもいい……どうか、老いぼれの冗談話を聞いてみる気はないかい?」
 アルベールは今まではすっかり酩酊していたが、老人の異様な喋り方にすこし平常さを取り戻した。
「明日……いや、今日は安息日か。暇はないではない」
 第二の男はコニャックをぐっと飲んだ。そして、おもむろに口を開いた。
 
    *

 私はこの太陽系から五十万光年離れたところにある、この地球での名はケルブ・アルハゲラサラグェという星の第五惑星セィポニウェル星という星に生まれた。水の豊かな星でこの地球とは或いは似ているかもしれない。しかし、地球よりは質量が大きく、というのも、この星にいると、今でもいささか体がふわふわと軽く感じるし、いわゆる人間よりも私はケタ違いに筋肉があるところからそれを推測する。
 私の故郷の星では、私の姿を見れば分かるようにこの地球と同じく「人間」と同じような知的生命体が権力を握っていた。そういうことを考えると、この「地球」と私の故郷の星は非常に相似していると言える。
 知性と技術は現時点においては今の人間よりも遥かに上をいっていた。しかし、その知性と技術のために我々は自滅しかけていた。ちょうど高くなりすぎた波が崩れるのと同じようなものである。
 そんな所、時代、当時三十五歳の私はたった一人で、国家プロジェクトとして知的生命体を探す旅に出された。と言っても、ロケットをうちあげるという面倒くさい仕業は、これはしない。三次元レヴェルでの移動は非常に効率が悪いのである。
 では、いかにして移動するのかと言えば、まず宇宙は四次元だけではなく、十次元の宇宙というのも存在する。この十次元の段階で移動するのである。具体的な方法としては普通は閉じている六次元を強い重力波によって広げるのである。すると、十次元への道が開かれる。
 そして、ようやくこの前の年、私はその強い重力波に耐えられる乗り物を開発したのだ。
 私は知的生命体の存在を求めて、旅立つ。長年親しんできた友人たち、これの開発を私と共におし進めてくれた研究員、そして愛する親に永別せねばならぬことは非常に悲しかった。ワープは外界から見ると非常に長い年月がかかるのだ。無論、ワープというからには私にとってはほんの一瞬なのだが、外界では永遠に近い時……百年、二百年……が過ぎるのである。つまり、強大な重力によって時間が遅れてしまうためである。
 とうとう時が来た。私は宇宙への期待を大いに抱きながらも、未だ愛するものたちとの訣別に葛藤していた。見送る者たちは涙を流しつつも祝福をしてくれる。私は心底彼らに感謝した。
 私は円柱型の「マウス」を手渡された。この「マウス」というのは三次元レヴェルでどれだけ離れていても通じるワームホール仕掛のものである。私がマウスのなかに手を入れれば、その手は研究室に置いてあるもう一つのマウスに繋がるのである。
「しかし、」と私は言う。「私が手を出すときには君たちは……」「邪念を持っては駄目です、教授……。教授は偉大な使命を持って旅をされるのですから……」私達は美しい抱擁を交わした。
 そして私は、そのマシンがある部屋に入る。特殊な仕組みで出来たガラスのような透明な物質の先には半径四メートルのこれもまた透明な球体がある。これが私の乗り込む宇宙船だった。
「みんなとはここでお別れだ。だけど、どうか、悲しまないでくれ、悲しまないでくれ。祝福を以って送ってくれ」
 と言いつつ、一番悲しんでいるのは、むしろ私であった。
 球体の一部分がはずれて、梯子になった所から、私は時を惜しみ惜しみ乗り込んだ。
 最後に
「では」
 と一言。見送ってくれる人、一人一人をまじまじと噛み締めるように見た。……美しい故郷の記憶はほとんどこれまでである。
 透明の球体の宇宙船に乗り込んで、ちょうど球の中心に座った。十分くらい経過して、私は愛弟子のスリックターに目配せした。彼は涙を堪え堪えスイッチを押した。
 私は一瞬目が見えなくなり、体が縦に伸びる感触を得た。
 次の瞬間には私は十次元の宇宙独特の粒子と反粒子の合体による強力な光の世界にいた。私は急いでボタンを押した。透明だった宇宙船はとたんに光を遮る物質に変化した。視力を回復するにはすこし時間がかかった。メーターを見ると、五十二万光年先の世界であるらしい。ワープは成功した。しかし、時間のメーターを見たとき、私は愕然とした。
 百年どころか既に千年以上過ぎていたのである。そして、メーターは異常な速度でからからと廻って、千百年、千二百年……となっていく。メーターの故障であればいいのだが。
 もしかして──。
 いや、まさか、と私は思った。そんなことあるはずない、と。しかし、事はそうだった。機械には何の異常も見られなかった。理論上、超高速で移動できる空間の十次元はじつは時間がものすごく遅く流れる場所であったのだ。
 既に出発してから三十五万年が過ぎようとしていた。渡されたマウスも既に向うのマウスが壊れたかなにかで既に時空が閉じて、ただの空き缶詰同然になってしまった。私のまぶたの裏にはまだ友人や家族がありありと思い浮かばれたが、彼らは既に死んだのだ……それどころか、人類はまだ生き残っているのか、という極めて根源的な問題にさえ立ち入る必要性さえ感じたが、それについて伝達し合う手段も方法も思いつかなかった。もはや全てが天文学的数値で全く何もかもが把握出来なくて、ただ呆然とするだけであった。
 そうしているうちに「ビービー」と警報機が鳴った。何事かと思って慌てふためいた。私は歓喜の声を思わず上げた。私はこの音はすなわち生命探査機が生命体を探知したことを意味したのである。私は科学者として、未知の生命体に興奮した。というと、喜怒哀楽が激しい人間に思われるが私はいたってニヒルなやつだった。逆に私のような人間でもこのようになるのだから、と考えたほうがいいくらいであろうと思われる。
 私はボタンを押して三次元にふたたびワープした。また体がきつく縦に伸びる感覚を得た。
 次元移動を経ると、……早速、この「地球」が目の前に青々と輝いた。すると、私は今度はまた無邪気に喜んだ。この青い星は私の好奇心を非常にくすぐった。見知らぬ星、如何なる生命体がいかに生きているのか──。
 じつに私はおよそ五十万年の時を旅していた。そして、この水にあふれた未知の星を目の前にしている。自分の仲間はとっくの昔に死んだ、全てが非現実的で夢かと疑いたくなった。
 私はそれから着陸態勢に入った。──

  *

「……ふぅ、シャトルーズ貰おう」と第二の男は言った。話しつかれた風体は別にない。給仕はこの奇譚を聞いていたのか、いないのか、どっちにしろ、取り乱した様子は全くなく、いたっていつもどおりに注いだ。
「俺にも貰おう」とアルベールも言った。「で、地球に着陸してからは何をしていたんだ?」
 第二の男はそれには答えずに、
「……今日は、私が愚かな旅に出た日らしい」
「え」
「光のほうが遅く届く。今、ここから見えるケルブ・アルハゲラサラグェの光はちょうど私が旅立ちの朝に当たった光と同じなんだろう……」
 アルベールはカフェから出て空を眺めた。
「一体どの星だ?」
 第二の男は吐き捨てるように言った。
「馬鹿馬鹿しい話さ。そんな光を見たくないからここにいるんだ」

 ○

これも。ゴッホの絵を見て書いた。
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りょっくんの小説をこれからゆっくり読んでいきます。
なぜか惹かれるものがあるので。
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Author:緑雨
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