登山。
「ツァラトゥストラはひとり山を下った。彼は誰にも出会わなかった。」 ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』
私は山に独特の死のイメージを持っている。それは具体的に何だ、と言われれば、遭難、転落、姥捨伝説、トンネル、寂寞、崇高……などとあげることも出来るだろうが、そのように語っても何も語ったことになっていない。それは、ただ「死」としか言いようがない。「死」と呟き、それが山びこで返ってくる、それが私が言いたいことの全てである。
やや大袈裟に始めてしまったが、なんてことはなく、今日登山に行った。それも日帰りで行けるような場所で、何もこんな大袈裟な装置など作る必要などない。一年ほど前からずっと登山に行きたかった。しかし、バイト、卒論、入試、季節など様々な要因が重なり行けなかった。そして今日行けた。ただそれだけのことである。
今日登った山は御在所岳。標高は1212Mである。登山口からの標高差はおよそ600Mらしい。最も登山口までも随分登ったが。
高校二年生の時にもこの山は同じルートで一度登ったことがある。11月半ばで、偶然にも御在所岳の初雪の時でもあった。登山道で出会ったおじいさん、おばあさんと一緒に登った。はじめ夫婦なのだと思っていたら、どうもそうではない。この二人もここで出会ったのであった。私たち三人は、本当の家族のように助け合って登った。
登り始めて、一合目で「なんで来たんだろう」と自問した。久しぶりに身体を動かし、汗が滝のように流れ出る。山道。そして持ってきている本がなぜよりにもよって Michel Henry, Marx だったのだろうかと自分を呪った。
登り始めるのが少し遅いせいもあってか(13時半過ぎから)、下りの人にはたくさん出会ったが、登りの人には出会わなかった。下って来る人にも尋ねてみたが、出会わなかったと言う。
30分程登るとさっそく展望が開けて来る。石がごろごろとあり足場が不安定だったが、少し立ち止まって景色を眺める。私たちがいかなるfieldに立っているのかというのを山は教えてくれる。山登りとは優れてcritiqueなものである。
八合目を過ぎると、ほとんど雪山であった。滑ったら即転落死になりそうな場所が先にいくつもある。引き返そうか…。雪山は登りはむしろ楽で、下りがきつい。事態は明白で引き返すべきだった。大袈裟だと笑われるかもしれないが、本気で「このまま進んだら死ぬかもな」と思った。
進んだ。理性的に考えれば、危険である。これを乗り越えたのは勇気ではなかった。むしろ弱い感情が私を登らせたのかもしれない、と今では思っている。だが、これは山の思想ではなく、平地の思想である。
山頂。「生きていた、生きていた」と私はひとりごちた。「生きている」ではないのだな、とフト思った。
山頂はfieldであった。すでに登ってしまったところのものに最早何の用もない。私はさっさと降りた。
私は山に独特の死のイメージを持っている。それは具体的に何だ、と言われれば、遭難、転落、姥捨伝説、トンネル、寂寞、崇高……などとあげることも出来るだろうが、そのように語っても何も語ったことになっていない。それは、ただ「死」としか言いようがない。「死」と呟き、それが山びこで返ってくる、それが私が言いたいことの全てである。
やや大袈裟に始めてしまったが、なんてことはなく、今日登山に行った。それも日帰りで行けるような場所で、何もこんな大袈裟な装置など作る必要などない。一年ほど前からずっと登山に行きたかった。しかし、バイト、卒論、入試、季節など様々な要因が重なり行けなかった。そして今日行けた。ただそれだけのことである。
今日登った山は御在所岳。標高は1212Mである。登山口からの標高差はおよそ600Mらしい。最も登山口までも随分登ったが。
高校二年生の時にもこの山は同じルートで一度登ったことがある。11月半ばで、偶然にも御在所岳の初雪の時でもあった。登山道で出会ったおじいさん、おばあさんと一緒に登った。はじめ夫婦なのだと思っていたら、どうもそうではない。この二人もここで出会ったのであった。私たち三人は、本当の家族のように助け合って登った。
登り始めて、一合目で「なんで来たんだろう」と自問した。久しぶりに身体を動かし、汗が滝のように流れ出る。山道。そして持ってきている本がなぜよりにもよって Michel Henry, Marx だったのだろうかと自分を呪った。
登り始めるのが少し遅いせいもあってか(13時半過ぎから)、下りの人にはたくさん出会ったが、登りの人には出会わなかった。下って来る人にも尋ねてみたが、出会わなかったと言う。
30分程登るとさっそく展望が開けて来る。石がごろごろとあり足場が不安定だったが、少し立ち止まって景色を眺める。私たちがいかなるfieldに立っているのかというのを山は教えてくれる。山登りとは優れてcritiqueなものである。
八合目を過ぎると、ほとんど雪山であった。滑ったら即転落死になりそうな場所が先にいくつもある。引き返そうか…。雪山は登りはむしろ楽で、下りがきつい。事態は明白で引き返すべきだった。大袈裟だと笑われるかもしれないが、本気で「このまま進んだら死ぬかもな」と思った。
進んだ。理性的に考えれば、危険である。これを乗り越えたのは勇気ではなかった。むしろ弱い感情が私を登らせたのかもしれない、と今では思っている。だが、これは山の思想ではなく、平地の思想である。
山頂。「生きていた、生きていた」と私はひとりごちた。「生きている」ではないのだな、とフト思った。
山頂はfieldであった。すでに登ってしまったところのものに最早何の用もない。私はさっさと降りた。
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